
NEC、富士通、シャープの新御三家は勢力を拡大する一方だった。
ほぼ毎年新製品を発表し、最盛期には細かなバージョン違いも含めて
1年間に8機種もリリースしたメーカーもあった。
まさに第1次マイコン(パソコン)ブームの到来である。
他のメーカーも、指をくわえて見ていたわけではない。
この波に乗ろうと、東芝、カシオ、三菱、ソニー、松下も参入。

東芝「パソピア7」、日立「S1」、カシオ「FP-1100」、三菱「マルチ8」
特に東芝の「パソピア7」は、横山やすしを起用した宣伝もあって、
知名度もあった。 そして各メーカーがイメージキャラクターとして
芸能人を起用するようになったのも、この頃からである。
マイコンがビジネスではなくホビーユースになるに従って、
トミーやバンダイといったおもちゃメーカーも
子ども向けの安価なマイコンを発売した。

トミー「ぴゅう太」、バンダイ「RX-78」、カシオ「楽がき」、タカラ「ゲームパソコン」
例えば、バンダイ「RX-78 GUNDAM」は、59,800円。
トミーの「ぴゅう太」にいたっては、19,800円という安さである。
だが、各メーカーがそれぞれ覇権争いを目論み、
特色を出そうとして、当時のマイコンは仕様がこんがらがっていた。
色がたくさん出せて、きれいな絵が描ける。
音がたくさん出て、作曲ができる。
ビデオの映像に文字を重ねることができる。
日本語でBASICプログラムが作れる。
今では全ての機能が1台のパソコンでできてしまうが、
当時そんなものを作ったら年収分ほどの値段になってしまうので、
各メーカーはどれかに特化した性能を売りにしようとしていた。
例えばソニーの「SMC-777C」は、4096色のうちから16色使えるとあって
店頭デモ画面の美しさは当時としては群を抜いていた。

通称「HiT BiT(ヒットビット)」と呼ばれたソニーパソコンもそこそこ売れたが、
最終的にはいずれのパソコンも「御三家」の牙城を崩すことはできず、
ほとんどのメーカーは、独自のマイコン開発を断念せざるをえなくなる。
つづく。
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