
第1次パソコンブームのさなかにあっても、
私の周囲にアップル社やIBM社のパソコンを
持っているという人は皆無だった。
それもそのはずで、当時のブームは
国産機によるホビーユースによって成り立っていた。
白黒画面で日本語入力もできないような外国製パソコンに
当時の少年が飛びつくはずもない。
それらを購入する層は、もっと大人で、仕事用で
しかもデザイン系などオシャレで最先端好きな
人種だったろう。
話がそれるが、私が小さい頃は、
まだ外国人が珍しかった時代である。
街で外国人を見たりしちゃったらもう、
「外人だ! 外人がいたよ!!」
と、小学校で話題になるぐらいだった。
輸入車も少なくて、ベンツを見たら
「外車だ、外車だ。」
「ほらほら、ハンドルが左にあるんだぜ。」
と、子どもたちは珍しそうに覗き込む。
今では信じられない光景だが、
当時は都会でもそんなもんだった。
外国製品も珍しい時代で、
トミカも「Made in Japan」だったし、
電化製品も日本製ばかり。
今では当たり前となった「Made in CHINA」や
「Made in TAIWAN」なんて商品は、
まず滅多にお目にかかることがない。
そんな感じで中学生になったので、
外国製のパソコンなんて、ますます謎でしょうがない。
キーボードにカタカナが書いてないなんて、意味が分からなかった。
ま、実際には、プログラムを組む時にカタカナは使わないし、
アドベンチャーゲームも今のようにローマ字入力で遊べたので、
実はそれほど問題ではなかったのかも知れない。
また、初期のパソコンゲームは基本的に大人向けなので、
英語表記、英語入力のものも多かった。
そして英語といえば、こんなトラウマがある。
今年で30周年を迎えた「機動戦士ガンダム」は、
かなり早い段階でパソコンゲームになった。

「-ガンダム大地に立つ-」と「-翔べガンダム-」 ラポート社 1983~1984
内容はアドベンチャーゲーム。
アドベンチャーゲームとは、場面に適した言葉を入力して
物語を進めていくもので、雰囲気としては自分が物語の
主人公となり、次の行動を考えてキーボードで打ち込み、
それが妥当だと次の場面へ進んでいく、という感じ。
基本は「動詞+名詞」の形でコマンドを入力し、
例えば「ヒダリ ススム」と入力すれば、左へ行き、
「トル ホン」と入力すれば、本を手に取るという具合だが、
この「ガンダム」は、なんと英語入力のみしか対応していなかった。
「TURN LEFT」や「TAKE BOOK」などと、
英語でしか受けつけてくれないわけである。
なんて気取ったゲームなんでしょう。
作ったのはもちろん、日本のゲーム会社だったのだが。
さて、ゲームが始まって最初の場面はアムロの部屋。
テレビアニメと同じストーリーだとすれば、
フラウ・ボウと一緒に避難しなければならないはずだ。
となると、まずは部屋を出なければならない。
「LOOK DOOR」と入力すると
「カギガ カカッテイマス」と、メッセージが返ってきた。
ならばと、「OPEN DOOR」と入力すると
やっぱり「カギガ カカッテイマス」の返事。
「OPEN KEY」と入力しても反応なし。
「LOOK KEY」と入力すれば「デンシロックデス」と。
こうした場合は、ドアの横にあるパネルで暗証番号を
入力すればガギが開くというのがパターンだったりするが、
どうやらそれらしいパネルも暗証番号が書かれたメモもない。
「PUSH DOOR」!
「PULL DOOR」!!
「ATACK DOOR」!!!
何をやっても鍵は開かず、結局部屋から一歩も出られぬまま。
自分の部屋なのにカギの開け方がわからなくて出られぬとは、
なんて不条理なんだろうか。
さんざん辞書で調べて、「UNLOCK」という単語を発見したのは、
ゲームを始めてから2週間後のことだった。
だいたい「UNLOCK(カギを外す)」なんてマニアックな単語、
中学1年生が知ってるわけがない!!
てゆーか、大学受験まででも「UNLOCK」なんて習ってない!!
このゲーム、物語が進んでいって、戦闘場面になると
アクションゲームになったりするらしいのだが、
英単語を探すことに挫折して、そのまま放置プレイ。
ゲームはカセットテープだったので、シャアやミライさんの
声が録音されていて、それを聞いて楽しんでたなぁ。
まあ、そーゆー時代だったのだ。
というわけで、次回からは、これまでの8ビットパソコン時代の
パソコンゲームの変遷についても触れたいと思う。
私の周囲にアップル社やIBM社のパソコンを
持っているという人は皆無だった。
それもそのはずで、当時のブームは
国産機によるホビーユースによって成り立っていた。
白黒画面で日本語入力もできないような外国製パソコンに
当時の少年が飛びつくはずもない。
それらを購入する層は、もっと大人で、仕事用で
しかもデザイン系などオシャレで最先端好きな
人種だったろう。
話がそれるが、私が小さい頃は、
まだ外国人が珍しかった時代である。
街で外国人を見たりしちゃったらもう、
「外人だ! 外人がいたよ!!」
と、小学校で話題になるぐらいだった。
輸入車も少なくて、ベンツを見たら
「外車だ、外車だ。」
「ほらほら、ハンドルが左にあるんだぜ。」
と、子どもたちは珍しそうに覗き込む。
今では信じられない光景だが、
当時は都会でもそんなもんだった。
外国製品も珍しい時代で、
トミカも「Made in Japan」だったし、
電化製品も日本製ばかり。
今では当たり前となった「Made in CHINA」や
「Made in TAIWAN」なんて商品は、
まず滅多にお目にかかることがない。
そんな感じで中学生になったので、
外国製のパソコンなんて、ますます謎でしょうがない。
キーボードにカタカナが書いてないなんて、意味が分からなかった。
ま、実際には、プログラムを組む時にカタカナは使わないし、
アドベンチャーゲームも今のようにローマ字入力で遊べたので、
実はそれほど問題ではなかったのかも知れない。
また、初期のパソコンゲームは基本的に大人向けなので、
英語表記、英語入力のものも多かった。
そして英語といえば、こんなトラウマがある。
今年で30周年を迎えた「機動戦士ガンダム」は、
かなり早い段階でパソコンゲームになった。


「-ガンダム大地に立つ-」と「-翔べガンダム-」 ラポート社 1983~1984
内容はアドベンチャーゲーム。
アドベンチャーゲームとは、場面に適した言葉を入力して
物語を進めていくもので、雰囲気としては自分が物語の
主人公となり、次の行動を考えてキーボードで打ち込み、
それが妥当だと次の場面へ進んでいく、という感じ。
基本は「動詞+名詞」の形でコマンドを入力し、
例えば「ヒダリ ススム」と入力すれば、左へ行き、
「トル ホン」と入力すれば、本を手に取るという具合だが、
この「ガンダム」は、なんと英語入力のみしか対応していなかった。
「TURN LEFT」や「TAKE BOOK」などと、
英語でしか受けつけてくれないわけである。
なんて気取ったゲームなんでしょう。
作ったのはもちろん、日本のゲーム会社だったのだが。
さて、ゲームが始まって最初の場面はアムロの部屋。
テレビアニメと同じストーリーだとすれば、
フラウ・ボウと一緒に避難しなければならないはずだ。
となると、まずは部屋を出なければならない。
「LOOK DOOR」と入力すると
「カギガ カカッテイマス」と、メッセージが返ってきた。
ならばと、「OPEN DOOR」と入力すると
やっぱり「カギガ カカッテイマス」の返事。
「OPEN KEY」と入力しても反応なし。
「LOOK KEY」と入力すれば「デンシロックデス」と。
こうした場合は、ドアの横にあるパネルで暗証番号を
入力すればガギが開くというのがパターンだったりするが、
どうやらそれらしいパネルも暗証番号が書かれたメモもない。
「PUSH DOOR」!
「PULL DOOR」!!
「ATACK DOOR」!!!
何をやっても鍵は開かず、結局部屋から一歩も出られぬまま。
自分の部屋なのにカギの開け方がわからなくて出られぬとは、
なんて不条理なんだろうか。
さんざん辞書で調べて、「UNLOCK」という単語を発見したのは、
ゲームを始めてから2週間後のことだった。
だいたい「UNLOCK(カギを外す)」なんてマニアックな単語、
中学1年生が知ってるわけがない!!
てゆーか、大学受験まででも「UNLOCK」なんて習ってない!!
このゲーム、物語が進んでいって、戦闘場面になると
アクションゲームになったりするらしいのだが、
英単語を探すことに挫折して、そのまま放置プレイ。
ゲームはカセットテープだったので、シャアやミライさんの
声が録音されていて、それを聞いて楽しんでたなぁ。
まあ、そーゆー時代だったのだ。
というわけで、次回からは、これまでの8ビットパソコン時代の
パソコンゲームの変遷についても触れたいと思う。
スポンサーサイト


