
さて、ワンボードマイコンからの進化は
この「パソコンの歴史」の冒頭部を読んでもらうとして、
コンピュータ発祥のアメリカでは、
どういう発展をしてきたのか。
外国製のパソコンについては、あまり詳しくない上に
とっても詳しい方々がいっぱいいるだろうから、
ここでは簡単に書いておく。
まず、「ATARI(アタリ)」という、日本人からすると
ふざけた感じに聞こえる名前のゲーム会社がある。

世界初のビデオゲーム会社で、
もともとはピンボールゲームから始まっているが、
カセットを入れ替えることで色んなゲームが
遊べるという家庭用ゲーム機を作って大ヒット。
それまでは内蔵されたゲームしか遊べないタイプで
当然、日本のファミコンの発売よりはるか前の話である。
そのアタリ社の技師を勤めていたスティーブ・ショブズ氏と、
もともとは計測器メーカーだったヒューレット・パッカード社に
勤めていたスティーブ・ウォズニアック氏は
地元のコンピュータ・マニアの集まりで知り合った。
当時、インテルが発売したマイクロ・プロセッサを使った
「Altair8080(アルテア)」というキット型のコンピュータが
アメリカで売れていた。

この手のワンボードマイコンは日本にも輸入され、
日本製でもNECのTK-80が同じプロセッサを使用している。
それを見たジョブズとウォズニアックは、
「もっと安くて簡単でいいものが作れる」
と別の会社のマイクロ・プロセッサを使った試作機を作った。
その3ヶ月後にApple社を立ち上げて、
組み立て式コンピュータを販売した。
それが「AppleⅠ(アップル・ワン)」(1976)である。
「AppleⅠ」は組み立て式なので、製品としてはCPUしかなく、
ボディーケースやキーボードなどは自前で用意しなければならなかった。
よって、下の写真の木製筐体はオーナーの自作だろう。
家庭用テレビへつなげたり、BASICが使えたりと、
基本性能は備えていた。 生産数がわずか200台
右の絵は、アップル社の最初のロゴマーク。

彼らは会社を退職して、翌年には「Ⅰ」を改良した「Apple Ⅱ」を発売。
世界で初めて個人向けに作られた完成品コンピュータとして
大量生産・大量販売されたマイクロコンピュータである。
これが累計500万台以上と爆発的に売れた。
売れた要因として、「AppleⅡ」発売の際に販促として「Ⅰ」ユーザーへの
無償交換キャンペーンでグレードアップを行ったこともあげられる。
これにより「AppleⅠ」はほとんど現存しておらず、
今では数百万円で取り引きされるほどのレアな機体となってしまった。

売れたもうひとつの理由は「オールインワンコンピュータ」であること。
本体、キーボード、モニターが揃っていて組み立てる必要がなく、
画像出力、音声出力、外部装置との接続、プログラム用言語などを
全て初めから内蔵しており、買ってきて電源さえ入れれば、
誰でもすぐに使えるというのが、一般層のハートをわしづかみにしたのだ。
今では当たり前のことだが、パソコンが一部マニアによるものだった時代に、
これは画期的だったに違いない。
しかも、付属モニターは白黒だが、テレビにつなげばカラー表示もできる。
これにより、ゲームもたくさん作られた。 子どもの心もわしづかみである。
ロゴマークが6色になったのも、それを表している。
さらに売り上げを伸ばした理由は、日本では高価だったために普及が遅れた
FDD(フロッピーディスクドライブ)が安価で市場に出回ったことである。
FDD版で売られたアップル用の表計算ソフトは、
ビジネスはおろか、教育現場や一般家庭でも広く受け入れられた。
アメリカでは、サラリーマン家庭でも確定申告が必要だというから、
そりゃ、毎日忙しいサラリーマンが、
カセットテープのロード時間なんて待ってられんよなぁ。

AppleⅡ FDD2基搭載タイプ「europlus」
日本では、このアップルⅡ成功の翌年に、
シャープが完成品コンピュータ「MZ-80K2」を発売している。
NECの「PC-8001」登場はさらに翌年。
FDDが定着するのは、さらに4年後になる。
つづく
この「パソコンの歴史」の冒頭部を読んでもらうとして、
コンピュータ発祥のアメリカでは、
どういう発展をしてきたのか。
外国製のパソコンについては、あまり詳しくない上に
とっても詳しい方々がいっぱいいるだろうから、
ここでは簡単に書いておく。
まず、「ATARI(アタリ)」という、日本人からすると
ふざけた感じに聞こえる名前のゲーム会社がある。

世界初のビデオゲーム会社で、
もともとはピンボールゲームから始まっているが、
カセットを入れ替えることで色んなゲームが
遊べるという家庭用ゲーム機を作って大ヒット。
それまでは内蔵されたゲームしか遊べないタイプで
当然、日本のファミコンの発売よりはるか前の話である。
そのアタリ社の技師を勤めていたスティーブ・ショブズ氏と、
もともとは計測器メーカーだったヒューレット・パッカード社に
勤めていたスティーブ・ウォズニアック氏は
地元のコンピュータ・マニアの集まりで知り合った。
当時、インテルが発売したマイクロ・プロセッサを使った
「Altair8080(アルテア)」というキット型のコンピュータが
アメリカで売れていた。

この手のワンボードマイコンは日本にも輸入され、
日本製でもNECのTK-80が同じプロセッサを使用している。
それを見たジョブズとウォズニアックは、
「もっと安くて簡単でいいものが作れる」
と別の会社のマイクロ・プロセッサを使った試作機を作った。
その3ヶ月後にApple社を立ち上げて、
組み立て式コンピュータを販売した。
それが「AppleⅠ(アップル・ワン)」(1976)である。
「AppleⅠ」は組み立て式なので、製品としてはCPUしかなく、
ボディーケースやキーボードなどは自前で用意しなければならなかった。
よって、下の写真の木製筐体はオーナーの自作だろう。
家庭用テレビへつなげたり、BASICが使えたりと、
基本性能は備えていた。 生産数がわずか200台
右の絵は、アップル社の最初のロゴマーク。


彼らは会社を退職して、翌年には「Ⅰ」を改良した「Apple Ⅱ」を発売。
世界で初めて個人向けに作られた完成品コンピュータとして
大量生産・大量販売されたマイクロコンピュータである。
これが累計500万台以上と爆発的に売れた。
売れた要因として、「AppleⅡ」発売の際に販促として「Ⅰ」ユーザーへの
無償交換キャンペーンでグレードアップを行ったこともあげられる。
これにより「AppleⅠ」はほとんど現存しておらず、
今では数百万円で取り引きされるほどのレアな機体となってしまった。


売れたもうひとつの理由は「オールインワンコンピュータ」であること。
本体、キーボード、モニターが揃っていて組み立てる必要がなく、
画像出力、音声出力、外部装置との接続、プログラム用言語などを
全て初めから内蔵しており、買ってきて電源さえ入れれば、
誰でもすぐに使えるというのが、一般層のハートをわしづかみにしたのだ。
今では当たり前のことだが、パソコンが一部マニアによるものだった時代に、
これは画期的だったに違いない。
しかも、付属モニターは白黒だが、テレビにつなげばカラー表示もできる。
これにより、ゲームもたくさん作られた。 子どもの心もわしづかみである。
ロゴマークが6色になったのも、それを表している。
さらに売り上げを伸ばした理由は、日本では高価だったために普及が遅れた
FDD(フロッピーディスクドライブ)が安価で市場に出回ったことである。
FDD版で売られたアップル用の表計算ソフトは、
ビジネスはおろか、教育現場や一般家庭でも広く受け入れられた。
アメリカでは、サラリーマン家庭でも確定申告が必要だというから、
そりゃ、毎日忙しいサラリーマンが、
カセットテープのロード時間なんて待ってられんよなぁ。

AppleⅡ FDD2基搭載タイプ「europlus」
日本では、このアップルⅡ成功の翌年に、
シャープが完成品コンピュータ「MZ-80K2」を発売している。
NECの「PC-8001」登場はさらに翌年。
FDDが定着するのは、さらに4年後になる。
つづく
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