
ずっとパソコンの歴史を語ってきたが、
気づいてる人は気づいてるかも知れない。
実は外国製のパソコンを全く無視してきたのだ。
コンピュータの歴史を真面目に語ろうとしたら
アメリカを無視するわけにはいかない。
しかし、そこからやり出すと、もうこのシリーズ、
1000回ぐらいまでいっても終わらない気がする。
なので、ちょっとまとめてみる。
まず、コンピュータのことを「電子計算機」と言うが、
それは歯車などを組み合わせて作られた
物理的な「機械式計算機」に相対する名称である。
プログラムによって動作する計算機。
それがコンピュータと定義される。
世界初のコンピュータは、
1942年にアメリカのアイオワ州立大学の教授と学生が開発した
「アタナソフ・ベリー・コンピュータ(Atanasoff-Berry Computer)」、
その頭文字をとって「ABC」と呼ばれたものとされている。
300本ほどの真空管と論理回路、入力用パンチカ-ド読取機、
記憶磁気ドラムなどで出来ており、その後のコンピュータの
基礎となる多くのアイデアが散りばめてあった。
そのアイディアをもとにして、米国陸軍の予算で開発され、
4年後にペンシルバニア大学で発表されたコンピュータが
「Electronic Numerical Integrator and Computer」、
頭文字をとって「ENIAC(エニアック)」であった。

18,800本もの真空管、7万個の抵抗、1万個のコンデンサ、
6,000個のスイッチからなる大規模な電子計算機で、
その床面積は100平方メートル、重量は約30トンもあった。
この超巨大コンピュータ、当時は大砲の弾道計算などに
使われる予定だったが、第2次大戦が終わってしまったので、
完成後は原爆のシミュレーション計算などに使われた。
マンション2戸分ほどの広さに設置されたエニアックだが、
その性能は当然今のパソコンの足元にも及ばない。
て、そもそも真空管なんてものを現代っ子は知らないだろうなぁ
はるか昔はテレビにもラジオにも使われていたものだったが、
今じゃ、お目にかかることは、まず無理な部品(↓)。

さて、こんなコンピュータはあくまで大規模研究用であり、
個人が持つなどとんでもないものである。
個人が持てるマイクロ・コンピュータ(マイコン)が
作られるには、まず小型化を実現する技術が不可欠だった。
そのためには、真空管にとってかわるものが必要で、
電子回路は「トランジスタ」(↓左)へ、
さらに「LSI (IC)」(↓右)へと進化。

そして「インテル」が開発した「マイクロ・プロセッサ」という
半導体(↓左)が誕生する。 これが1971年のこと。
先述の「ENIAC(エニアック)」ほどの性能が、
この手のひらサイズ以下の小さな半導体で、
可能になったのである。

実はこの半導体、作ったのはインテル社だったが、
それは日本の小型電卓に利用するためだった。
だから、当初は半導体の販売権は日本が持っていた。
しかし、その後インテル社はその利用性の高さに気づき、
日本から半導体の販売権を買い戻している。
それがワンボードマイコン(↑右)の心臓部として利用され、
今のパソコンへの起源となったのである。

もしこの時、日本が販売権を手放していなかったら…。
今のウィンドウズパソコンではなく、
日本製のパソコンが世界を席巻し、
ビル・ゲイツは日本に頭が上がらない、
なんてことになっていたかもしれない。
つづく
気づいてる人は気づいてるかも知れない。
実は外国製のパソコンを全く無視してきたのだ。
コンピュータの歴史を真面目に語ろうとしたら
アメリカを無視するわけにはいかない。
しかし、そこからやり出すと、もうこのシリーズ、
1000回ぐらいまでいっても終わらない気がする。
なので、ちょっとまとめてみる。
まず、コンピュータのことを「電子計算機」と言うが、
それは歯車などを組み合わせて作られた
物理的な「機械式計算機」に相対する名称である。
プログラムによって動作する計算機。
それがコンピュータと定義される。
世界初のコンピュータは、
1942年にアメリカのアイオワ州立大学の教授と学生が開発した
「アタナソフ・ベリー・コンピュータ(Atanasoff-Berry Computer)」、
その頭文字をとって「ABC」と呼ばれたものとされている。
300本ほどの真空管と論理回路、入力用パンチカ-ド読取機、
記憶磁気ドラムなどで出来ており、その後のコンピュータの
基礎となる多くのアイデアが散りばめてあった。
そのアイディアをもとにして、米国陸軍の予算で開発され、
4年後にペンシルバニア大学で発表されたコンピュータが
「Electronic Numerical Integrator and Computer」、
頭文字をとって「ENIAC(エニアック)」であった。


18,800本もの真空管、7万個の抵抗、1万個のコンデンサ、
6,000個のスイッチからなる大規模な電子計算機で、
その床面積は100平方メートル、重量は約30トンもあった。
この超巨大コンピュータ、当時は大砲の弾道計算などに
使われる予定だったが、第2次大戦が終わってしまったので、
完成後は原爆のシミュレーション計算などに使われた。
マンション2戸分ほどの広さに設置されたエニアックだが、
その性能は当然今のパソコンの足元にも及ばない。
て、そもそも真空管なんてものを現代っ子は知らないだろうなぁ
はるか昔はテレビにもラジオにも使われていたものだったが、
今じゃ、お目にかかることは、まず無理な部品(↓)。


さて、こんなコンピュータはあくまで大規模研究用であり、
個人が持つなどとんでもないものである。
個人が持てるマイクロ・コンピュータ(マイコン)が
作られるには、まず小型化を実現する技術が不可欠だった。
そのためには、真空管にとってかわるものが必要で、
電子回路は「トランジスタ」(↓左)へ、
さらに「LSI (IC)」(↓右)へと進化。


そして「インテル」が開発した「マイクロ・プロセッサ」という
半導体(↓左)が誕生する。 これが1971年のこと。
先述の「ENIAC(エニアック)」ほどの性能が、
この手のひらサイズ以下の小さな半導体で、
可能になったのである。


実はこの半導体、作ったのはインテル社だったが、
それは日本の小型電卓に利用するためだった。
だから、当初は半導体の販売権は日本が持っていた。
しかし、その後インテル社はその利用性の高さに気づき、
日本から半導体の販売権を買い戻している。
それがワンボードマイコン(↑右)の心臓部として利用され、
今のパソコンへの起源となったのである。


もしこの時、日本が販売権を手放していなかったら…。
今のウィンドウズパソコンではなく、
日本製のパソコンが世界を席巻し、
ビル・ゲイツは日本に頭が上がらない、
なんてことになっていたかもしれない。
つづく
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