
マイコン(パソコン)ブームを支えたもうひとつの立て役者が、
「マイコン(パソコン)雑誌」であった。
今でこそパソコンに関する情報はインターネットによって
素早く簡単に入手することができるが、
当時は、マイコン本体やゲームソフトの新発売の情報、
ユーザー同士の意見交換や自作プログラムの発表など
すべて雑誌で知るしかなかった。
だから、数多くの雑誌が生まれたのもこの頃である。
私も自分のパソコンを買う前にいくつか雑誌を買って
性能の情報を仕入れたり、ゲームの広告やCG写真を見て
夢を膨らませたものだった。
日本で初めてのマイコン専門雑誌は
1976年11月に工学社から創刊された、
「I/O(アイ・オー)」の12月号だった。
I/Oとは「INPUT(インプット)OUTPUT(アウトプット)」のことで
基礎的なマイコン用語である。

続いて1977年(昭和52年)に創刊されたのは
(株)アスキー刊行の「月刊ASCII(アスキー)」。
同じく1977年創刊の「月刊マイコン」(電波新聞社)。
これに1978年創刊の「RAM」(廣済堂)を加えた4雑誌が、
マイコン黎明期を支えた存在であった。

それぞれの雑誌には、広告が多い、年少向け、
ワンボードマイコンの情報が豊富、自作ゲームプログラムの投稿が
充実している、などといった違いや特色があった。
端的に分ければ、専門的な「I/O」と「ASCII」に対して、
やや平易で一般向けな「月刊マイコン」と「RAM」って感じかな。
そして1982年にはマイコンブームとともに雑誌もどんどん増えていった。
つづく。
「マイコン(パソコン)雑誌」であった。
今でこそパソコンに関する情報はインターネットによって
素早く簡単に入手することができるが、
当時は、マイコン本体やゲームソフトの新発売の情報、
ユーザー同士の意見交換や自作プログラムの発表など
すべて雑誌で知るしかなかった。
だから、数多くの雑誌が生まれたのもこの頃である。
私も自分のパソコンを買う前にいくつか雑誌を買って
性能の情報を仕入れたり、ゲームの広告やCG写真を見て
夢を膨らませたものだった。
日本で初めてのマイコン専門雑誌は
1976年11月に工学社から創刊された、
「I/O(アイ・オー)」の12月号だった。
I/Oとは「INPUT(インプット)OUTPUT(アウトプット)」のことで
基礎的なマイコン用語である。

続いて1977年(昭和52年)に創刊されたのは
(株)アスキー刊行の「月刊ASCII(アスキー)」。
同じく1977年創刊の「月刊マイコン」(電波新聞社)。
これに1978年創刊の「RAM」(廣済堂)を加えた4雑誌が、
マイコン黎明期を支えた存在であった。

それぞれの雑誌には、広告が多い、年少向け、
ワンボードマイコンの情報が豊富、自作ゲームプログラムの投稿が
充実している、などといった違いや特色があった。
端的に分ければ、専門的な「I/O」と「ASCII」に対して、
やや平易で一般向けな「月刊マイコン」と「RAM」って感じかな。
そして1982年にはマイコンブームとともに雑誌もどんどん増えていった。
つづく。
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