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飛行缶 -SORA・TOBU・CAN-

デザインがカッコイイ缶を集め出したのが始まりでした。気づけば部屋中に大量の缶が。エピソードとともに整理しながら発表していきますので、おつきあい頂ければ幸いです。

やっぱり泡がある

ニューカレドニアネタに戻るわけだが、
今日はあっさりいこうかな。

NC cola light
Cola-Cola light

はい、コカ・コーラのライト。
デザイン的には日本にも普通にありそう。
というか、輸入されてドンキホーテなんかで売ってそう。

あっさりしたデザインだが、
ペプシの時みたいに、これにも泡が描かれている。
これは炭酸の泡を表現しているのだろうか。
いや~? やっぱり南国の海を表してるに違いない。
だって、よ~~~く見ると、うっす~~~らと
うねうねした曲線も描かれているから。
これ、写真撮った時の写り込みじゃないよ。

ペプシといい、コカコーラといい、
南国用のデザインがあるってことだろうか。
確かに、コカコーラの会社は世界各国にあるわけだから
その地域にあったデザインをするのは至極当然である。
でも、いままではオリンピックとかクリスマスとか、
イベント用としてデザインされたものであって、
地域の特色を反映したデザインは見たことがない。
エジプトのコカコーラとか、砂っぽいデザインだったりするのかな。
実在していたら、ちょっと見てみたい。



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20 パソコンを買おう 2

私はどの機種にするか悩んでいた。
最初は富士通「FM-77」にしようと思っていた。
FMシリーズは、グラフィックの表示速度が他機種に比べて圧倒的に速く、
パソコンを買ったらCGをやりたいと思っていた私は、それしかないと思っていた。

FM-77body
しかし、兄貴が強行に反対した。
同じメーカーのものが2つあっても面白くないと言うのである。
自分で勝手に富士通を買っておいて、人の欲しい物にまで口を出すとは、
まったくB型のワガママっぷりにも困ったものである。

しかし、NECの「PC-8801mkⅡ」は眼中になかった。
NECのシリーズは、グラフィックの処理速度が絶望的に遅い。

PC-8801body
これは「テクノポリス」が行った比較実験の話だが、
あるグラフィックをPC-8801mkⅡが1枚表示する間に、
FM-7は15回表示できたというのだ。
にも関わらず、PC-8801用のゲームはたくさん出ていて、
何が何だか分からないのである。 よほどプログラムが作りやすいのか、
はたまたNECがゲーム会社に金を積んでるんじゃないかと思うほどだ。

以前に書いた「MSX」は非常に安く、最も安いものだと3万円以下、
最も売れていたものでも7万円以下で、兄貴もそれにしろとうるさかった。
だが私は抵抗した。確かに値段は魅力だが、安かろう悪かろうというか、
MSXはとにかく基本性能が低いため、私が最もこだわったグラフィック性能が、
御三家と比較するのもおこがましいほどのレベルだったからだ。 

そこで白羽の矢が立ったのが、発売されたばかりの
シャープの「X1 turbo」だった。

X1turbo

正直言って、最初はX1の特徴がよく分からなかった。
シャープのパソコンは、当初からカセットレコーダーを内蔵していて、
他のメーカーのものより読み込み速度が2~3倍も速く、
そのレコーダーの性能が有名であった。
しかし今やFDDの時代である。 他に魅力が必要だ。

他の魅力…。 ある!
X1は当時のパソコンで唯一「スーパーインポーズ機能」を搭載していた。
なんとパソコンの画面とテレビ画面とを合成できるらしいのだ。
「パソコンテレビ」というのが、X1のキャッチコピーである。
シャープのテレビ事業部が開発したのだから、
やはりテレビの活用にこだわったのだろう。 
これは当時かなり珍しい機能だった。

X1sche

このようにテレビを見ていても、その画面に重ねて
メッセージが表示できるとゆー、とっても未来チックな機能なのだ。
ちなみにこの画像はカタログの写真なのだが、
「おふろが沸きました」って、他に使い方ないのかよ!!!!!!

で、こんな風にパソコンを使う未来に憧れつつ、
現実にはホームコントロールセンターなんてものは
21世紀になった現在でも一般家庭に普及などしていない。
じゃあ、当時のスーパーインポーズ機能は何の役に立つかというと、
例えば自分が録画したビデオにタイトル文字を合成したりするのだ。 
今では当たり前の機能だが、シャープは20年以上も前にやっていたのだ。
さすが、「目のつけどころがシャープ」なメーカーだ。

こうして、私の中で赤丸急上昇中のX1 turbo。

さらなる魅力としては、デザイン的にもよくできていたことだった。
AV機器のように積み重ねて使用することを想定して作られており、
本体、キーボード、モニターなどの横幅がすべて39㎝に統一されているのだ。
これにより、シャープでスクウェアなシルエットとなり、
スタイリッシュなデザインは同時期のパソコンの中で一線を画していた。
頭をぶつけたら刺さって血が出るようなエッジも最高にカッコイイ。

X1-front

というわけで、私は「X1 turbo」を買うことに決めた。

つづく。

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世界最古

前回、ニューカレドニアで発見した
「schweppes(シュウェップス)」の缶を見て、
どこかで見たことあるような…と締めくくったが、
思い出した。

友人の香港土産でもらった缶。

HK-schweppes

GINGER BEER

汽水 330ml
炭酸水、白糖、酸度調節剤、調味剤、防腐剤、色素、安定剤
玉泉 (2008)


デザインは若干違うが、ロゴは間違いなくシュウェップス。
アルミ部分の筆記体英文がデザイン的にグッドである。
デカデカと書かれた「ジンジャー・ビール」の文字はどうかと思うが、
味を間違えられないように主張しているのだろうか。
ともかく「しょうがビール」ってことらしい。

しょうが…しょうが…。

やっぱり「しょうが湯」を思い出してしまうぞ。
まあ、ジンジャー・エールも、そのまんま「しょうが味」ではないので
これも基本的にはビールなんだろう。

と思ったら大間違いで、
ビールと書いてあっても、ただの炭酸飲料なのだ。
実際、原料にもアルコールの類は一切ない。

これは「ジンジャー・ビア」と言い、
カナダでジンジャーエールが発明される以前から
イギリスで作られてきた炭酸飲料で、ジンジャーエールのルーツ。
しょうがと糖分を発酵させて作られるとか。
なるほど、発酵させてるから「ビア」なんて言うんだな。
ジンジャーエールをさらに辛くしたような味で、
甘味とジンジャーの辛味が強く、クセのある味が特徴だとか。
うーん、飲むのが怖いなぁ。

というわけで、シュウェップスは香港にもあるわけだから、
世界中にあると推測できる。
実は日本でも瓶飲料としてコカ・コーラ社から発売されているらしいが、
私はその存在を全く知らなかった。

で、調べてみた。 以下wikiより抜粋。

18世紀末にドイツ人の時計技師であり発明家の
「ヨハン・ヤコブ・シュヴェッペ(Johann Jacob Schweppe)」が
炭酸ミネラルウォーターを製造する機械を開発し、
1783年にジュネーブでシュウェップス社を創業。
その後事業拡大のため会社をロンドンに移転。

主な商品としては、ジンジャーエール(1870年)、
ビター・レモン(1957年)、
トニック・ウォーター(1771年)がある。

なるほど~。 シュウェップスは人名だったんだね。
そして、世界中でかなり昔から売られているだね。
そりゃー、ニューカレドニアでもよく見かけるわけだ。

で、このトニックウォーターが、
世界最古の炭酸飲料
と言われているようだ。
確かに1771年と言えば、今から240年近く前。
日本は江戸時代か。 そりゃ~すごいな。
あれ? 創業より12年早いぞ? 試作品か?


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19 フロッピーディスクの台頭

1983~1984年、8ビット機は第二次成長期を迎えていた。
兄貴の「FM-7」のような、カセットレコーダーなどの外部記録装置を持たない。
本体とキーボードのみのワンボード型のマイコンは、すでに時代遅れとなっていた。
フロッピーディスクドライブ(FDD)を搭載した高級機種の台頭である。

NEC 「PC-8801mkⅡ」
富士通 「FM-77」
シャープ 「X1 turbo」

second 3

この頃から「マイコン」ではなく「パソコン」という呼び方が定着していくのだが、
この時代の機種編成は、FDDのない比較的安価なベーシックモデル、
FDDを1基だけ搭載した標準モデル、そしてFDDを2基搭載した最上級モデルと、
3タイプ編成で発売されるのが主流であった(富士通のみFDDなしモデルがない)。
当然、FDDが増えるごとに値段も跳ね上がっていく。

floppy3

↑ FDもサイズが3タイプあり、群雄割拠だった。
左から8インチ、5.25インチ、3.5インチと、大きさがバラバラ。

8inchi
      ↑ 8インチフロッピー。今見ると笑えるぐらいデカい。

当時、3.5インチはディスク自体が高く、普及率は低かった。
富士通だけが3.5インチを採用しシェアを伸ばそうとしたが、
他のほとんどのメーカーは5.25インチを採用し、それが主流であった。
5.25インチディスクはペラッペラで、誤って折り曲げたりするとパーになるという、
今思えば、よくあんな頼りないディスクに大切なデータを入れてたもんだったが、
3.5インチが1枚1000円した時代に、5.25インチは1枚100円以下だったので、
メインユーザーであった若年層にとっては、背に腹はかえられなかったのである。

というわけで、時代はFDD搭載型へと移っていた。
まだカセットタイプも並列して存在していたが、
今までゲームをするのに何十分とかかっていたロード時間が、
フロッピーなら10秒程度で終わるとなると、その魅力は絶大である。
値段をとるか、時間をとるか。 
まさに「時は金なり」である。

つづく。

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マラリアの特効薬!?

今日はヘア・トニックの紹介。
インディアンが愛用する育毛剤ですな。

ちっがーう!

でも、トニックって書いてあるじゃん。
辞書にも「トニック=育毛剤」って書いてあるし。
え? 髪だけじゃなく「元気をつけるもの全般}の意味?
強壮剤とか?
そもそも「トニック・ウォーター」で「炭酸飲料」の意味?
てことは、なに? 
これ、ただのサイダーってこと?
じゃなくて、「キニーネ」の苦みを持つ炭酸飲料を
「トニック・ウォーター」と言うの?
キニーネってなに?

「キナの樹皮に含まれる主要なアルカロイド。
 マラリア治療の特効薬として知られ、塩酸塩・硫酸塩が用いられる。
 白色の結晶で、味はきわめて苦い。」

なに!?
マラリアの特効薬!?
そんなもん飲んでんのか!?

NC-TONIC

INDIAN TONIC

あ、でも南国じゃ、マラリアって深刻かもな。
蚊が媒介する病気だろ?
高熱出して、ヘタすると死ぬやつ。
もしかして、そーゆー環境的要因もあって、
こっちでは定番商品になってるのかも。
現に、街中で持ってる人をよく見かけた。
実際、この「トニックウォーター」にも「キニーネ」が入ってるようだし。

定番商品ではあるけれども、コーラ的な存在ではなく、
日本でいう「しょうがゆ」みたいな位置づけなのだろうか。
いや、あんなにマズイものじゃないだろうが、
「苦い炭酸」とゆー意味では、充分不思議な飲み物だ。

デザイン的にはケレン味がなく、非常に安定している。
というか、古風というか伝統的なデザインに感じる。
黄色と黒というと工事現場のイメージカラーだが、
黄色がメタリックなのでそんな感じがしないのと、
斜めのロゴマークと赤い丸マークが
ちょっと高級な感じすら演出している。
ま、一歩間違えたらプルトニウムの入った容器とか
漫画に出てくる核ミサイルのようにも見えてくるが。
これも「トニックらしさ」を出すためのデザインなのかも知れない。
ちなみに色違いもあり。

で、これって、何かどこかで見たことあるような
気がするんだが…、気のせいかな。




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18 パソコンを買おう

ここで個人的な話に戻る。

我が家には「FM-NEW7」があった。
これは以前に紹介した「FM-7」の廉価モデル。
性能的にはほとんど大差はない。

FM-new7

で、これは正確には我が家のものではなく、
兄貴の個人的所有物であった。
しかし、マイコンに興味のある年頃の私。
兄貴の機嫌の良い時に遊ばせてもらったり、
兄貴がいない時にこっそり使ったりした。

ただ、当時のマイコンゲームというのは厄介だった。
ファミコンのように、カセットを入れたらすぐできるわけでもなく、
今のパソコンのように、すぐにゲームプログラムが立ち上がるわけでもない。

以前に書いた「カセットテープ」なのである。

casette-nol

当時のゲームは、カセットテープとして売られ、
ゲームをするには、このカセットテープを再生し、
プログラムをマイコンに読みこませる必要があったのだ。
これを「LOAD(ロード)する」という。

で、ロードにどれぐらい時間がかかるかと言うと、市販の単純なゲームで
最低でも5分、大長編物語ともなると30分近くかかるものもあった。
いざゲームをしようとカセットをセットし、ロードをし始める。
台所に行ってお湯を沸かしてカップラーメンを作る。
ちょっとテレビでも見ながら食べて、さてそろそろかと部屋に戻る。
それでもまだ終わってなかったりする。 これは本当の話。
で、読み込み終わる前に兄貴が帰ってきたりすると、
すべて水の泡である。

The Castle

そんなこんなでゲームすら遊べないのだから、腰を落ち着けて
じっくりプログラムを組むなんてことはできなかった。
兄貴は雑誌などを買ってきて、プログラムを打ち込んで遊んだりして、
自分も早く自分だけのマイコンが欲しいと思ったものである。

そして中学生の時、ついに親の説得に成功した。
「通知票で主要5教科でオール5をとったら買ってやる」
という約束を取り付け、見事に達成したのである。
ちなみに当時は5段階相対評価だからね。
数学が苦手だった私が、5など取れるわけがないと
親も高をくくっていたのだろう。
そりゃそうだ。 一番びっくりしたのは私自身だったのだから。
ちなみに9教科オール5を要求しなかったのは、親の情けだろう。
体育と音楽だけは、天地がひっくり返っても5は取れないからなー。

かくして、私は足しげく電気屋へ通い、うきうきしながら
どのマイコンにしようかと品定めの日々を送ったのである。

つづく。

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友達!

まだまだ続く、ニューカレドニアもの。

コカ・コーラ、ペプシと、なかなかいいデザインが続いたが、
今日は途端に南国っぽいものに。

NC-AMIGO
AMIGO

まず、名前がそのまんま。
いや、これスペイン語だよね。 ここフランス領だよね。
もう、それだけでも突っ込みたいところだが、
デザイン的にも突っ込みどころ満載。

だれ、これ?

なぜ魔女ハットを被ってる? 魔女なの?
何かコミックのキャラクターとかなの?

背景が銀河のようにも見えるけど、
そんな壮大なスケールを表現する商品なの?

くわえてるストローが、新体操のリボンばりにくるくるしてるけど、
何かメッセージがあるの?
「I」をまっすぐじゃなくて、くるくるにしたのは
ちょっとは工夫が感じられると好意的にとることもできるが、
手描き感たっぷりなデザインにはめまいを禁じ得ない。

この「アミーゴ」、他にもデザインが色違いなだけの
オレンジとかグレープとかあったので、定番商品のようだ。 
他の店でもよく見かけたしね。
朝市(マルシェ)で買った「オロ」並みに売れ筋なのかも知れない。

ちなみに味は、ホントにフツーのフルーツジュース。
特に「うまい!」とか「マズイ!」もなく、ホントにフツー。
強いて表現するなら、子どもの頃によく飲んだ
粉末を溶かして作るジュースを濃くしたような味。
「それはマズイ部類だろ」と言われそうだが、
あれはあれで好きだったので、個人的には馴染みある味、と。

ま、何にしても、いろんな意味でインパクト炸裂の
パッケージデザインですな。

いやー、こーゆーのを見ると異国に来た感じがするなー。

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17 持ち運べるパソコン

実は、今回のパソコンの歴史を書いていて、
足りない知識を補うためにいろいろ調べるうちに、
初めて知って驚いたものがあった。

1982年、パソコンブーム真っただ中、
びっくりのパソコンが誕生していたのである。

それは、当時弱小メーカーだと思われていた「信州精器」が発売した、
日本初の「ハンドヘルドコンピュータ HC-20」である。

HC-20cat

「信州精機」とは聞き慣れないと思うが、現在の「エプソン」のこと。
そういえば、長野にはエプソンの大きな工場がある。

そして「ハンドヘルドコンピュータ」とは、
持ち運べる程度の小型サイズの携帯情報端末のこと。
以前に紹介した「ポケットコンピュータ」は元が電卓なのに対して、
「ハンドヘルド」は、れっきとしたコンピュータ。
なので、現在のノート型パソコンの元祖といえる。
30年近く前に、すでにノートブックパソコンがあった!?
これには驚いた。

パソコンの小型化なんて最近のことかと思っていたのに、
そんな以前から存在していたなんて。
しかも性能がすごいのである。

・マイクロソフト製BASICを内蔵。
・小さいながらも液晶モニター装備でゲームもできる。
・内蔵電池により最大約50時間の連続稼動が可能。
・プログラム保存・読み出し用マイクロカセット装着可能。
・そしてなんと小型プリンターまで装備。

HC-20

さらに。

同時に発表された「音響カプラ」を使っての通信が可能。
外出先から自由にデータを送受信することもできたという。
まさに、現代のモバイルPCの先駆けだ。
あ、音響カプラってのは、データを音に変換して、
電話機につないでデータをやりとりするものね。
ちょっと前までインターネットも電話回線で繋いでたでしょ。
当時のはネットというよりファックスに近いけどね。

・これだけの性能を持っていてA4サイズ。
・重さたったの1.6kg。
・当時としては決して高くない136,800円。

こりゃー、売れるわ。

そして25万台を売り上げ、その後も後継機種をリリース。
以前紹介したパソコン専門雑誌「Oh!」シリーズのひとつとして、
「Oh! HC」が季刊で発行されるほどであった。

うーん、日本の技術恐るべし。
ちなみにエプソンは「世界初」と謳っているが、
世界初の持ち運び可能なオールインワンPCは、
1981年にアメリカの「オズボーン・コンピュータ社」が製作した
「Osborne 1(オズボーンワン)」とされている。

osborne-1

ただ、このオズボーン1は、ハンドヘルドというには
厳しいものがあったようだ。

・5インチという小さすぎるディスプレイ。
・容量が小さすぎて使い物にならないフロッピーディスク。
・重さ12kg!? デスクトップ型より重いじゃん。
・そしてバッテリーを内蔵していないため電源が必要。

これはもはや携帯型コンピュータというより、
単に移動することができるコンピュータというものだった。
なので、A4型で携帯できるコンピュータとしては、
「HC-20」は確かに世界初と言えるだろうし、
そのあたり、小型製品を作るのがうまい日本の技術に天晴れである。

こうしてエプソンはコンピュータ市場に意外な角度から突入し、
御三家らとは別に、その地位を築いていった。
現在、エプソンがパソコン市場で幅をきかせているのには、
こうした技術的に培われたものがあったからかも知れない。

つづく。

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謎の数字

さて、前回に続き、またしても世界各国にあるだろう一品。

コカ・コーラの永遠のライバル。

NC-PEPSI

PEPSI

一見、何がどうなってるのか分からないが、
それでも何かカッコイイと感じるデザインだ。 素晴らしい。

落ち着いてよく見ると、右下には帽子を被った
ポニーテールの女性の後ろ姿が。
格好は水着かキャミソールか。
あと、ヘッドフォンをしている?

と考えると、なるほど背景は渦巻く波と青空に映える入道雲か。
これが青の濃淡だけで描かれてるんだから、
よくできたデザインだな~。 いいセンスだ。
風景や人物のイラスト的なデザインて、安っぽくなり易いんだが、
これはそのパターンでは最高にうまい部類に入るだろう。
日本のデザインも見習って欲しいものだ。

ところで気になるのは、気泡と思われるいくつかの白い丸の中に
「1」の数字が描かれていること。
これは、何か意味があるのだろうか。
バージョン1とか? それにしては変な感じ。
中央の「PEPSI」のロゴの下あたりには、
水色でうっすらとした「1」が2つある。
まるで暗号みたいではないか。
ものすごい気になるのだが、これを解明する方法はない。
フランス語で書かれてるから、やっぱりヌメアで作ってるんだろうな。
いや、デザインはニューカレドニア限定じゃないかも知れない。
そうなるとニューヨークにあるペプシ社に聞くしかないんじゃないか。
いや~、いくら何でもそれは無理。

というわけで、謎を残したまま
素晴らしいデザインにホレボレした今回でした。

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16 パソコン雑誌のすごさ

4回に渡って紹介してきたマイコン(パソコン)雑誌についてだが、
それがパソコンブームとともに、いかに時代の隆盛を極めたかを
象徴するものがある。

まずは、下の写真を見て欲しい。

787B-2

マツダの「787B」という車だ。 
もちろん、一般の市販車ではない。
750馬力以上を発生するエンジンを積んだレースカーである。
「ル・マン24時間耐久レース」という、F1に続いて有名なレースに
1991年に出場し、日本のメーカーで初めてにして、
また現在に至るまで唯一の優勝を誇ったマシンである。
いまだにミニカーやラジコンなどで多数商品化されるほどの名車だ。

787B-1

私はこのレースを衛星放送で見ており、
優勝シーンは今でも覚えているほど感動的だった。
日本車で初の優勝に解説者も興奮し、私もテレビの前で
ガッツポーズを取って喜んでいた。
このレースについてはNHKの「プロジェクトX」でも紹介されている。

787B-3

さて、なんでこんな話を持ち出したかというと、
この車の側面、前タイヤのちょっと後ろに青い文字がある。

こいつを拡大すると・・・・。

787B-login

なんと「LOGiN」の文字が!

あのパソコン雑誌「LOGiN」である。

F1-McHonda

当時、少年ジャンプが日本一の発行部数の記録を更新し続け、
売れに売れまくっていた頃、やはりブームだったF1の
マクラーレン・ホンダのスポンサーとなり、マシンの先端部分に、
テレビでは絶対見えないぐらいの小さなステッカーが
貼られていたことがあったが、それと同じようなものである。

F1-jump

ま、金額的にはかなり違うだろうが、
それでも、パソコン雑誌がレースカーのスポンサーになるというのは、
さすがバブル真っ盛りと言うべきか。

いやいや、パソコン誌初の月2回刊行を成し遂げたほどだから
当時の「LOGiN」が相当人気があったということだ。
創刊から約10年間、「LOGiN」を始めとする各パソコン誌にとっては、
我が世の春を謳歌していた時代だったと言えよう。


つづく。

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もしかして限定?

今回は世界のどこに行ってもあるであろう商品。

そう、コカ・コーラ。

ニューカレドニアの空港にあった自販機の中にもあったが、
それとはちょっと違うバージョン。

NC-cola2

ノーマルなコカ・コーラにある、白の波ラインはなく、
代わり(?)に、ヤシの木とか蝶とか飛び交っている。
色といい柄といい、明らかに南国的なデザインだ。
これはもしかしてニューカレドニア限定?
それとも南国地域限定?

裏面がまたよい。

NC-cola1

南国カラーのいろんなもの(?)が、
コーラのビンから「シュパァッ」って噴き出してる感じのデザイン。
白いシルエットと横レイアウトの小さめのロゴがセンス良し。
久々に「お気に入り」にカテゴライズしたい逸品だ。

日本製と外国製との決定的な違いは、
表面の赤色塗装が日本製は濃くて、外国製は薄いこと。
前にも書いたが、外国製はアルミの光沢が透けているので、
こうして写真を撮ると光ってしまう。
日本製ではそんなことにはならないので、よほど塗膜が厚いのだろう。 
コカ・コーラほどの量産数になると、これだけの塗膜の違いが
かなりのコスト高になるはずだが、それが日本人の好みなのだろうか。

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15 パソコンの情報源 4

「POPCOM(ポプコム)」は、1983年に小学館から創刊。
当初からパソコンによるホビー色を強く出した雑誌で、

popcom2

他の雑誌同様に投稿ゲームのプログラムなどを掲載したほかに、
パソコン入門漫画を同時に複数本連載したり、
同社の漫画を題材とした投稿イラスト・CGを多数掲載するなど、
小学館という強みを活かして他誌との差別化を図っていた。

当時人気の高かった「うる星やつら」や「めぞん一刻」が
小学館であることもあって、それらのイラストやCGを使った
オリジナルカセットレーベルが毎号の付録としてくっついていたのも
他社には真似できないことだった。
(ま、徳間は徳間で「ナウシカ」の版権とか持ってだけどね。)

ええ、私もそれ欲しさに買いましたよ、ポプコム。

同時に他社の雑誌に投稿された小学館漫画のイラスト・CGなどを、
版権を理由に掲載を差し止めさせるといった独占的な措置もとっており、
他誌の読者などから批判を受けていた。

techpoli-urusei

今でも「ドラえもん」とか使うと、ディズニー並みにうるさいが、
小学館は昔から版権にうるさかったということだ。

「コンプティーク」は角川書店より1983年に創刊だが、
当時は隔月刊。 つまり2ヶ月に1回ということ。
キャッチコピーは「パソコンと遊ぶ本」。
「ザ・テレビジョン」の別冊として生まれたからか、
芸能界やアニメなど、他メディアの記事も多かった。

comptique2

パソコンについては、創刊から数年間はゲーム記事、
パソコン本体の購入ガイドなど、わりとマニア向けであった。 
他誌が取り上げないようなパソコンゲームの裏技を精力的に扱い、
テクノポリス同様パソコンゲームプログラムの改造手法も掲載していた。

途中からコピーが「戦うパソコンゲームマガジン」と意味不明に。
その頃からメディアミックスを主体とした内容になり、
マニアックというより、今でいうオタクな傾向が強くなってくる。
「ロードス島戦記」の元となったテーブルトークRPGのリプレイ記事や
読者参加型ゲームなど、テーブルゲームに関する記事、
ライトノベルなども掲載され、総合娯楽誌へと変貌していった。

これらの雑誌は、創刊当初こそ真剣にホビーを追求していたが、
1980後半からパソコンを取り巻く事情が少しずつ変わってきて、
そろって「ある方向」へ路線転換するのだが、
そのあたりについては、もう少し後で書くことにしよう。

つづく。

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まさかの再会

ま・・・、
まさかこんなところで出会うとは。

昔、よく飲んだなぁ。
最近見かけないけど、日本ではもう売ってないのかこれ?
あれ? そもそも缶タイプって売ってたっけ?
家で飲んでたのは、粉末を牛乳に溶かして作るやつだったぞ?
もしかして海外オリジナル?

MC-MILO

MILO
乳飲料 240ml
スクロース、脱脂粉乳、麦芽エキス、麦芽デンプン、ココア、乳脂肪、
ヤシの木オレイン酸、ミネラル、ビタミン、大豆レシチン、乳化剤、香料
ネスレ (2009)


うーん、またしても謎の原料が。
ヤシの木のオレイン酸て、なんだ?
いや、その名の通りなんだろうが、日本のものにも入ってるのか?
見比べてみると…、植物油脂のことかな。
ミネラルってのは、炭酸マグネシウムやピロリン酸鉄、ナイアシンのこと?
表記の基準が日本と違うから、よくわかんないよなー。

このパッケージのスケートボードに乗ってる男の子、
どう見てもフランス人でもなければ、メラネシア系でもない。

いやー、日本人か中国人のように見えるんだけど、
違うんだろうか。
日本のやつには、サッカーやってる少年が描かれていたはず。
スケボーってあたりが、外国文化って感じなのかな。

ちなみに「ミロ」の語源とゆーか由来は、
2600年ほど昔のローマにいた「ミロン」という力持ちの運動選手の名から。
彼は古代オリンピックのレスリング競技で、6回も優勝したといわれている。
ネスレによると ミロはそんなミロンにあやかり、
「強い子に育って欲しい」という願いを込めて名付けられましたそうだ。
知らんかった~。

あれ? でも海外では「ミロ」ではなく、「マイロ」と発音するらしいぞ?
てことは名前の由来は? 「ミロン」じゃなくて「マイロン」なのかな。

日本では子どもの飲み物ってイメージだけど、
海外では大人も普通に飲むんだってさ。
香港のファストフード店では「美祿」(メイロッ)と呼ばれ、
定番メニューとなっているとか。
だから、ニューカレドニアのこんなスーパーで普通に売ってるんだね。
さすがに、カフェやバーではメニューで見かけなかったけど。

それにしても、ミロが外国にもあったことに驚いた~。
てっきり、日本の製品だと思ってたよ、ミロは。
なんか、こう、日本ぽいというか、ベタというか・・・。
外国に来て初めて知る驚愕の事実だね。

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14 パソコンの情報源 3

前回紹介したパソコン雑誌は、
わりと真面目というか、マニア向けの内容だった。
専門用語が飛び交い、プログラムテクニックの紹介などであふれ、
パソコンをゲーム機の延長として捉えていたライトユーザーにとっては
ちょっぴり難しく、時々買うけど毎月購読はしないといった感じだった。

それとは対照的に、ライトユーザー、ホビーユーザー向けの雑誌も
続々と登場した。

「テクノポリス」
「POPCOM(ポプコム)」
「コンブティーク」

私の中では、この3雑誌がホビーユーザー御用達の御三家だったと考える。
「コンプティーク」だけが現在も存続しているので、知っている人も多いだろう。

今日はその中の「テクノポリス」について。
「テクノポリス」とは「先端技術都市」しか「技術支配社会」という
れっきとした英語で、YMOの曲のタイトルなどでも用いられている。
「テクノポリス」略して「テクポリ」は3雑誌の中で最古参で、
徳間書店から1982年に創刊された。

technopolis2

創刊当初は、前回紹介した雑誌同様に真面目な科学雑誌路線だった。
わりと高度なプログラムテクニックの紹介など硬派な部分もあったが、
キャッチコピーが「ナイコンでもわかる遊べる」であるように、
パソコンを持っていなくても楽しめる内容、
あるいはこれからパソコンを買う人にとっての情報誌、
というのが基本スタンスであった。

この雑誌の特徴は、早い時期から「マンガ」を掲載したことだ。
「さとうげん(佐藤元)」というアニメーター&漫画家が描く、
ゲームの攻略法をストーリーマンガ形式で紹介するというもの。

techpoli-casette
  ↑さとうげん氏イラストによるカセットレーベルの付録

ちなみにさとうげん氏は、あの2等身ガンダム「SDガンダム」の発案者であり、
予想外に「SDガンダム」がヒットした時に著作権を巡って
バンダイと裁判で争ったが敗訴しているという経歴の持ち主。
個人的には発案者を大事にしてやればいいのにと思うが、 
そもそもガンダムがバンダイのものなので、その派生としての
SDに著作権を主張するのは、やはり難しかったようだ。

当時はパソコンゲームの著作権がけっこう曖昧な時代で、
ゲームソフトのレンタルやコピーという商売も堂々と存在していた。
そんなおおらかな時代だから、ゲームの攻略に留まらず、
例えば主人公を無敵にするとかを裏技のレベルではなく、
プログラムそのものを改造してしまうというテクニックが記事として紹介され、
たいへん人気があった。 
もちろんメーカーとのトラブルは少なからずあったようだが。

他にはテクポリは読者のページが充実しており、投稿が掲載されると
「テクポリクラブ会員」として、会員番号付きの会員証・バッジなどが
編集部から送られた。 
プログラムやイラスト投稿、手紙といった間接的な繋がりに留まらず、
読者が編集部に遊びに行って、そのままバイトとして働くケースもあったという。
こうした魅力もあって、私が最も長く定期購読していた雑誌であった。

ちなみに私もイラストが掲載され、会員証を持っている(笑)。

つづく。

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エイプリル・フール

人生に疲れました。

このブログも、今日で最後にします…。
























































などと書いたら、心配してくれる人はいるだろうか。

ま、エイプリル・フールってことです。

エイプリル・フールがいつ、どこで始まったかというのは
よく分かってないらしい。
でも、欧米はもちろん、中国にもあるというから驚きだ。

エイプリル・フールの存在を知ったのは
やはり「ドラえもん」によってだったと思う。
ドラえもんの公式最終回のひとつ、
てんとう虫コミックス第6巻最終話「さよならドラえもん」。
涙なしでは読めない名作だ。

その続きとして第7巻の最初に収録されている「帰ってきたドラえもん」。
4月1日にのび太がジャイアンに「ドラえもんが帰ってきたぞ」という
嘘をつかれ、怒り落胆することから始まる話だ。
ドラえもんが不可抗力的に帰ってくるための理由づけが
非常に巧みで、藤子不二雄の天才ぶりがうかがえる。

小学生の時は4月1日に、いかに巧みな嘘を友達につけるかが
楽しみだったが、大きくなるに連れてそんなことは忘れてしまった。
4月1日は新年度の始まりであり、正月の次に仕事始めの日であり、
花見の直前という位置づけとなった。

今年も迎えた4月1日。
桜も満開が近いようだが、私はどんな気持ちでいるだろうか。
のび太のように「USO800(ウソ・エイト・オー・オー)」が欲しいと思う、
今日この頃である。

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