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飛行缶 -SORA・TOBU・CAN-

デザインがカッコイイ缶を集め出したのが始まりでした。気づけば部屋中に大量の缶が。エピソードとともに整理しながら発表していきますので、おつきあい頂ければ幸いです。

5 新御三家誕生

さて、技術の進歩と一般家庭への普及が急速に進むにつれて、
1980年代初頭には、より高機能な8ビットマイコンが発売された。

NEC PC-8801シリーズ(1981年)
富士通 FM-7(1982年)
シャープ X1シリーズ(1982年)

この3メーカーが市場をほぼ独占し、「新御三家」となった。
実は3社とも旧来のシリーズも続けて出しているのだが、
この新シリーズが3大勢力となった。
CPUこそ、それまでと同じ8ビットではあったが、
新8ビットマイコン(パソコン)は明らかに性能がアップしていた。

専門的な細かい設計や処理能力については説明しないが、
処理速度の高速化と記憶容量の拡大などが上げられる。
さらに色が8色になったことや、音が3音鳴らせることなどもある。
これにより、ゲーム画面やBGMが格段にレベルアップすることとなり、
本来は計算やデータ処理などビジネスのために使うコンピュータを、
ゲームをやる目的で買うという方向に市場を拡大させる要因ともなった。
その証拠に、市場を席巻した新御三家のマイコンは、
ゲーム会社がゲームを作りやすい設計・性能になっており、
それはつまり、ゲームがたくさん発売されることにつながり、
ユーザーは、そのゲームをやる目的で新御三家のどれかを買うのである。

PC-8801

NECのPC-8801シリーズは、PC-8001シリーズの上位機種であり、
両者は同時に進化していくが、PC-8801シリーズ用のゲームが
多数発売されたことで市場はPC-8801シリーズがメインとなり、
PC-8001シリーズは1985年を最後に消えていく。

富士通は「FM-8(1981年)」で初めてマイコン市場に参入。

FM-8body

「FM」は「富士通マイクロ」の略。「8」は「8色表示」から。
翌年に廉価版として「FM-7」を発売。

FM-7

普通は後発になるほど数字が増えるものだが、「8」から「7」になったのは、
開発時の「FM-8Jr.(ジュニア)」で「子ども・弟分」という意味からか?
値段が126,000円と安いわりに、値段の高い他機種よりも高性能で、
これにより富士通は一気に市場への参入に成功した。

古参のシャープは「MZ-80K」以来順調に開発を続け、
MZシリーズは、すでに一定のシェアを獲得していた。

MZ-2200

しかし、事実は小説よりも奇なり。 
なんと、同じシャープ内でライバルが出現したのである。
「パソコンテレビX1」の誕生だ。

X1

これは、NECのPC-8001とPC-8801との関係とはまったく違う。
MZとX1は、兄弟機種でもなんでもないのである。
MZシリーズが「シャープ電子機器事業部」の開発した製品に対し、
X1シリーズ(型番はCZ-800シリーズ)は同社の「テレビ事業部」が開発。

MZの機能も優れていたが、それとはまた違ったアプローチで開発。
ホビーユースに力を入れたX1は一気にシェアを拡大。 
MZシリーズも、かなり先まで生き残っているが、
NECのPC-8001と同様、MZ用のゲームが少なかったため、
主力はX1シリーズに取って代わられることになる。
この事件をシャープ内部では「覇権争い」と呼んでいたらしい。

こうしてマイコンの群雄割拠の時代はまだまだ続き、
「いかに面白いゲームが遊べるか」というユーザーの要求により
開発競争は苛烈を極めてゆくのである。

つづく。




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4 大きなマイコン、小さなポケコン

マイコンが売れ出した。
今から比べたら低い性能でも、コンピュータと言うと未来的な感じがして、
会社のプレゼンなんかでマイコンを使おうものなら、
それはそれは、最先端をいっている感じがした時代である。
各メーカーがマイコン開発に力を入れだし、性能が上がるにつれ
小型化が技術的に難しかった当時は、とにかく大型化していった。

当時はキーボードと本体がくっついた一体型が主流。
つまり、デスクトップ型の本体を寝かせて、そこにキーボードが
くっついてるようなもんである。 重さも平気で5~6kgほどあった。
だから、今みたいにキーボードを膝の上に置いて…なんてことはできない。
さらにシャープ製にいたっては「オールインワン」と言ってモニターも一緒。
当然ブラウン管なので、そうなると総重量は15~20kgにもなる。
ちょっとした漬け物石よりも重いので、一度置いたら移動させるのが大変。
私の持っていたマイコンは本体とモニターが別々だったが、
両方同時に持ち上げるとギックリ腰になりそうな重量だった。

こうした大型で高価なマイコンが普及していくのに対して、
メーカーは「ワンボードマイコン」のような小型コンピュータも作っている。
「ポケット・コンピュータ」、通称「ポケコン」である。
マイコンの普及と技術向上に合わせて、性能は低いが安価で携帯可能な
簡易コンピュータとして開発され、1980年にシャープが「PC-1211」を発売し、
電卓メーカーのカシオが追い上げようと頑張り、ポケコンは現在も存在している。

PC5100
EL-5100S(1982) 16,800円 24桁表示、300時間使用

形は「PS-P」より薄くて、横にもう少し長い感じ。
そろばんの2/3ぐらいの大きさって書いても、今の子は
そろばんを知らないよねー。 これも昭和のアイテムだなぁ。

小さなキーボードと白黒液晶画面が一体となっており、
見た目は少し大きめの、複雑な電卓だと思えばいい。
特徴は電池により長時間使用できることと、一応コンピュータなので
複雑な工業計算などに使えるよう設計されていること。 
プログラム入力ができるので、簡単なゲームも作ることができる。

マイコンが高価であった当時、コンピュータを使った機械制御の学習や
工業計算の学習、コンピュータ言語の教材として使用された。
また、マイコンに興味はあるが高価で買えないという層にも受け入れられた。
現在は一般市場ではあまり見かけないが、職業高校などではこれを購入したり、
キットを自分で作らせて、専門教科の授業で使ったりしている。

obm

コンピュータの入門として重宝されたポケコンだが、
その簡易さゆえにプログラムの保存機能がないのが難点だった。
どんなに頑張ってゲームを作っても、電源を切ったら全て消えてしまうのである。

しばらくして最低限の保存機能を内蔵したものが登場したが、
これが今度は学校を困らせた。
工業系の学校では定期テストにポケコンを使用する問題が出るのだが、
学生は前の晩に試験範囲の計算プログラムなどを入力しておくのである。
つまり、公然とカンニングが可能となってしまうのだ。
おかげで試験監督の先生は、ひとりひとりのポケコンを目の前で
リセットさせて確認するという対策をとらなければならなかったが、
怠慢な学校はそれもしなかったとかなんとか…。

うーん、最近は授業中に携帯や電子辞書でワンセグテレビを
見る学生がいて問題らしいが、いつの時代もテクノロジーというのは
学校を悩ませるねぇ。

つづく


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3 御三家誕生

前回の文末で締めたように、
ここからはまるで戦国の歴史のように、マイコンの群雄割拠の時代となる。

1970年代終盤に登場した初期のマイコンは以下の3機種。

first 3

日立 ベーシックマスターMB-6880(1978年)
シャープ MZ-80K(1978年)
NEC PC-8001(1979年)

これらをよく見ると、キーボードがびっくりである。
なんと、カーソルキー(矢印キー)がない。 
どーやって、カーソルを動かしてたのかね。
入力間違いしたら、そこまで削除で戻るしかないとか?
他はshiftキーとかctrlキーとかも当然ない。
漢字変換機能もなかったので、複雑な操作はしないから。

MB-key

ちなみにスピードはベーシックマスターで、
1から1000までの足し算が5秒かかったそうな。
今じゃありえんねー。

こんな性能だったけど、当初はこの3機種が
8ビットマイコンの「御三家」と言われた。
(「8ビット」の意味については、また後で。)
だが、ベーシックマスターは途中より遅れ気味となり、
1980年前後はPC-8001とMZ-80K/Cが人気を二分した形となった。

ベーシックマスターは、当時としてはとても高性能だった。
他機種が半角英数とカタカナしか表示できないのに対し、
標準で「ひらがな」が表示できた。 これはかなり珍しい。
さらに、「ドレミファソラシド」とカタカナで音階を入力して
音を出すこともできた。 シャープも3オクターブの音が出せたが、 
NECが曲を出せるようになったのは、ずっと後のことだ。

なのにベーシックマスターが市場から取り残されたのは、性能的に
劣っていたのではなく、搭載CPUの違いによるものではないかと考えられる。
ベーシックマスターは6800系のCPUなのに対して、他の2機種はZ80系のCPU。
つまりプログラムを作る側にとっては、共通性のあるNECとシャープの方が
便利である。 そうした点が有利に働いたのではないだろうか。
あとは宣伝広告のうまさや、雑誌の取り扱い方などにも要因は考えられる。

しかし、いずれにしても当時のマイコンは性能のわりに値段が高かった。
画面は基本的に白か緑の単色表示で、音は「ピー」としか鳴らないか、単音のみ。
いわゆる白黒で着信音しか鳴らない、初期の携帯電話と同じような感じである。
その程度の機能しかないのに、値段は10万~30万円ほどもした。
ま、当時の技術からいったら当然の値段だったのだろうが。

keitai

つづく。




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2 完成品マイコン登場

ワンボードマイコンのように、自分で組み立てるタイプのものは、
仕組みを勉強するにはもってこいだし、実際、そういう楽しみで
未だにホビーにしている人もいるぐらいである。

しかし、人はやっぱり便利で楽な方が好きだし、その方が売れる。
というわけで、電源を入れればすぐに使えるマイコンが主流の時代が到来。

「日本初の完成品マイコン」を作ったのは、意外なことに「日立製作所」である。
「日立 ベーシックマスターMB-6880」(1978年)というマイコンだ。
モニター別売りで、本体価格188,000円。
当時の大卒初任給が10万ちょっとなので、かなり高価だったわけだ。

MB-6880

「BASIC(ベーシック)」とは、コンピュータを操作するための「言語」の一種で、
人間が分かりやすいように英語でプログラムを組めるもの。
例えば「PRINT”ワタシハ、パソコン”」とプログラムすると、
画面に「ワタシハ、パソコン」と表示される。
当時、パソコンを買ってまず覚えるのがこの「BASIC」であり、
自分で絵を描いたりゲームを作ったりするのも、すべてBASICでプログラムした。
10年ほど前まで職業高校などでは必須だったが、今では習わないんだろうなぁ。
今はマウスで「カチッカチッ」だけど、昔はキーボードしかなかったからね。

続いて同年に発売されたのは「シャープ MZ-80K」である。

MZ-80K

「Z80」というCPUを使ったのが名前の由来。(CPUの説明については、また後で)
値段は198,000円だが、モニターとカセットレコーダーがくっついた一体型なので、
リーズナブルとも言える(好きなモニターが選べないとも言えるが)。
さらに高級版の「MZ-80C」というのは268,000円もして、さすがに高すぎたのか
15万円以下にコストダウンした廉価版が後から発売されている。

これに続き、翌年「日本電気(NEC)」が「PC-8001」を発売。

PC-8001

後発と言うこともあってか、値段も168,000円とちょっと安い。
そして「PC」は「パーソナル・コンピュータ」の略であり、
この時に初めて「パソコン」という名前が使われた。

会社や雑誌によっては、まだ「マイコン」と表記するところが多く、
「マイコン」が「マイ(私の)・コンピュータ」の略だと誤解されていた時代でもある。
後にPCシリーズが爆発的に売れたことによって「パソコン」という名が定着していくが、
それはまるで戦国時代のような、マイコンの群雄割拠を経てからのことになる。

つづく



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1 マイコンの始まり

以前に「パソコンの歴史についても書いてみたいなぁ」と書いたが、
書き始めたら、ものすごい膨大な量になってしまったので、
今夜から本編と同時進行で公開していこうと思う。
本編、つまり缶のネタにしか興味がない人は、読み飛ばしてよしである。

幸か不幸か、私は完璧にパソコン黎明期を駆け抜けた世代である。
少年期に第1次パソコンブームを経験し、
その後の急発展を目の当たりにしてきた。
正直こんなに早く、これほどパソコンの性能が向上するなど、
誰も予測していなかったはずである。

ま、半分はおっさんの昔話になるかも知れないが、
今は小・中学校でも、「技術」や「情報」の時間で、
結構難しい正式名称や仕組みなんかを勉強してたりするので、
負けないようになるべく面白く分かりやすく書いてみようと思うわけである。

さて、パソコンの歴史は、今から30年ほど遡る。
そもそも昔は「パソコン」とは言わず、「マイコン」が一般的な呼び名だった。
パソコンは「パーソナル(個人用)・コンピュータ」の略で、
マイコンは「マイクロ(とても小さい)・コンピュータ」の略。
しばらくはコンピュータのことを「マイコン」と言うので注意である。

それまでコンピュータというものは、大企業や大学などで
研究や開発時の膨大な計算をする時などにのみ用いられる物であったが、
アメリカで「ワンボードマイコン」と呼ばれるキットが開発・販売されたのが
個人用コンピュータの始まりである。

MZ-80K

「ワンボードマイコン」とは、名前の通り「1枚の基盤だけの小さなコンピュータ」で、
キットになっているが、ほとんどが自分でハンダ付けなどをして組み立てる物。

一部の愛好家が楽しんだ物なので、一般には存在すら知られていないことが多い。
作りは電卓程度の小さな画面と、小さいキーボードか、ヘタするとオン・オフの
スイッチがいくつか並んでるだけで、その組み合わせで簡単なプログラムを作り、
数字や記号を表示させたり、よく頑張っても単純な数当てゲームなどを
作れる程度だった。色はもちろん単色で、音も出ない。

海外製キット主流の中で、日本のメーカーも技術者の練習用としてのキットを作った。
1976年に発売された「日本電気(NEC)」の「TK-80」というワンボードマイコンが、
初の日本製マイコンとされている。TKとは「トレーニング・キット」の略。

TK-80

しかしこれが、技術者でなく一般客がホビー用として購入して売れた。
売れるのだから、他のメーカーも続いてワンボードマイコンの市場に参入し、
「シャープ」も「MZ-40K」というワンボードマイコンを発売している。

多くのメーカーが参入すれば競争原理が働き、より便利なものへと進化していく。
こうして自分で組み立てる必要が無く、コンセントとテレビがあればすぐ動かせる
「完成品マイコン」、つまり今の形に近い「デスクトップコンピュータ」が登場する。
これにより「ワンボードマイコン」は一般市場から消え、技術系の世界で
トレーニング用や機械制御用のものとしてしか存在しなくなった。

つづく


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