
「POPCOM(ポプコム)」は、1983年に小学館から創刊。
当初からパソコンによるホビー色を強く出した雑誌で、

他の雑誌同様に投稿ゲームのプログラムなどを掲載したほかに、
パソコン入門漫画を同時に複数本連載したり、
同社の漫画を題材とした投稿イラスト・CGを多数掲載するなど、
小学館という強みを活かして他誌との差別化を図っていた。
当時人気の高かった「うる星やつら」や「めぞん一刻」が
小学館であることもあって、それらのイラストやCGを使った
オリジナルカセットレーベルが毎号の付録としてくっついていたのも
他社には真似できないことだった。
(ま、徳間は徳間で「ナウシカ」の版権とか持ってだけどね。)
ええ、私もそれ欲しさに買いましたよ、ポプコム。
同時に他社の雑誌に投稿された小学館漫画のイラスト・CGなどを、
版権を理由に掲載を差し止めさせるといった独占的な措置もとっており、
他誌の読者などから批判を受けていた。

今でも「ドラえもん」とか使うと、ディズニー並みにうるさいが、
小学館は昔から版権にうるさかったということだ。
「コンプティーク」は角川書店より1983年に創刊だが、
当時は隔月刊。 つまり2ヶ月に1回ということ。
キャッチコピーは「パソコンと遊ぶ本」。
「ザ・テレビジョン」の別冊として生まれたからか、
芸能界やアニメなど、他メディアの記事も多かった。

パソコンについては、創刊から数年間はゲーム記事、
パソコン本体の購入ガイドなど、わりとマニア向けであった。
他誌が取り上げないようなパソコンゲームの裏技を精力的に扱い、
テクノポリス同様パソコンゲームプログラムの改造手法も掲載していた。
途中からコピーが「戦うパソコンゲームマガジン」と意味不明に。
その頃からメディアミックスを主体とした内容になり、
マニアックというより、今でいうオタクな傾向が強くなってくる。
「ロードス島戦記」の元となったテーブルトークRPGのリプレイ記事や
読者参加型ゲームなど、テーブルゲームに関する記事、
ライトノベルなども掲載され、総合娯楽誌へと変貌していった。
これらの雑誌は、創刊当初こそ真剣にホビーを追求していたが、
1980後半からパソコンを取り巻く事情が少しずつ変わってきて、
そろって「ある方向」へ路線転換するのだが、
そのあたりについては、もう少し後で書くことにしよう。
つづく。
当初からパソコンによるホビー色を強く出した雑誌で、

他の雑誌同様に投稿ゲームのプログラムなどを掲載したほかに、
パソコン入門漫画を同時に複数本連載したり、
同社の漫画を題材とした投稿イラスト・CGを多数掲載するなど、
小学館という強みを活かして他誌との差別化を図っていた。
当時人気の高かった「うる星やつら」や「めぞん一刻」が
小学館であることもあって、それらのイラストやCGを使った
オリジナルカセットレーベルが毎号の付録としてくっついていたのも
他社には真似できないことだった。
(ま、徳間は徳間で「ナウシカ」の版権とか持ってだけどね。)
ええ、私もそれ欲しさに買いましたよ、ポプコム。
同時に他社の雑誌に投稿された小学館漫画のイラスト・CGなどを、
版権を理由に掲載を差し止めさせるといった独占的な措置もとっており、
他誌の読者などから批判を受けていた。

今でも「ドラえもん」とか使うと、ディズニー並みにうるさいが、
小学館は昔から版権にうるさかったということだ。
「コンプティーク」は角川書店より1983年に創刊だが、
当時は隔月刊。 つまり2ヶ月に1回ということ。
キャッチコピーは「パソコンと遊ぶ本」。
「ザ・テレビジョン」の別冊として生まれたからか、
芸能界やアニメなど、他メディアの記事も多かった。

パソコンについては、創刊から数年間はゲーム記事、
パソコン本体の購入ガイドなど、わりとマニア向けであった。
他誌が取り上げないようなパソコンゲームの裏技を精力的に扱い、
テクノポリス同様パソコンゲームプログラムの改造手法も掲載していた。
途中からコピーが「戦うパソコンゲームマガジン」と意味不明に。
その頃からメディアミックスを主体とした内容になり、
マニアックというより、今でいうオタクな傾向が強くなってくる。
「ロードス島戦記」の元となったテーブルトークRPGのリプレイ記事や
読者参加型ゲームなど、テーブルゲームに関する記事、
ライトノベルなども掲載され、総合娯楽誌へと変貌していった。
これらの雑誌は、創刊当初こそ真剣にホビーを追求していたが、
1980後半からパソコンを取り巻く事情が少しずつ変わってきて、
そろって「ある方向」へ路線転換するのだが、
そのあたりについては、もう少し後で書くことにしよう。
つづく。


