
確かに「園児が描いた絵」と考えれば、
キーロン・ウィリアムソンくんの作品はすごい。

しかし、単純に絵画単体としての良さや美しさというものを考えたら、
まだまだ未熟というか、どこにでもあるレベルだと思われる。
私が16万で買うかと問われたら、正直買わない。
しかし、現実にはこれだけの値段がつく。
そこには、園児が描いたという「話題性」という付加価値が大きい。
付加価値というものは値段を決めるとても大きな要因になる。
例えば有名人や芸能人が描いた絵であれば、
たとえそれが幼稚園児が描いたレベルのものであっても
何万、何十万という値段がつく。
それは作品自身の価値でなく、
作品を描いた人に対する価値を認めている。
さらに値がつく要因としては、いわゆる若い芸術家の作品の
値段というものに含まれる「期待値」である。
その作家が今後人気が出て、作品の価値も上がっていくだろうと、
つまり投資として扱われる場合の価値だ。
そういう意味では、キーロンくんは将来に残された時間が膨大かつ
前途洋々すぎて、投資的価値は満載である。

こうして美術作品の値段が一般庶民の感覚から
外れたものになっていくわけだが、
例えば限定ものの超人気ブランドバッグが売り切れたとして、
倍の値段でヤフーオークションで売られたりすることと同じである。
それだけの値段を出しても欲しい人がいれば、
物の価値は上がっていく。
キーロンくんの絵画も、16万出しても欲しいという人が
世界中にいたのだろうから仕方がない。
ではなくて!
今回の主旨は、子どもの能力の高さである。
大人になると、とかく子どもの能力をバカにし、
こんなもんだろうと勝手に限界を決めたりしがちだが、
子どもの持っている能力は、大人のそれとは
比べものにならないほどの恐ろしいものである。
日本中の駅名が言える。
世界中の国名が言える。
円周率を500ケタまで言える。
たまにテレビでも「びっくり天才少年!」とか銘打って
紹介されたりするが、単純に記憶力だけを見ても
大人顔負けの子どもなんてザラにいる。
その能力が計算力に向く子もいれば、身体能力に向く子もいる。
ヨーヨーの世界一はもちろん子どもだ。
それでも大人が子どもがバカにするのは、
その能力が持続しない時だ。
子どもは興味を持った時に爆発的に能力を発揮するが、
往々にしてその興味は気まぐれでコロコロ変わり、
結果的に何の価値もなくなってしまうことが多い。
あなたも小さい頃は、天才だ神童だと言われただろう。
それは「子どもなのにすごい」という理由からだ。
本当にすごいというのは、「子どもでなくなってもすごい」ことだろう。
それには、子どもの興味や能力を高め、持続させる環境が必要だ。
それが大人の理解、助言、協力、賞賛などと言われるものだ。
そういう意味で、キーロンくんは良い両親に恵まれていたと
言えるし、大きなチャンスをつかんだと言えるだろう。

持って生まれた才能というもの誰にでもある。
ただ、どんな才能かが分からないのだ。
世の中には気づかないまま埋もれる才能の方が圧倒的に多い。
だが、それに気がつけば自分に大きな力となり、花開く可能性も高まる。
気づくには早ければ早い方がよく、なるべく多くの時間と労力を費やす。
磨いた才能の開花には血の滲むような努力が必要な場合が多いが、
偶然が大きく影響することも往々にしてある。
運をつかむのも実力の内と言われるが、今回で言えば
キーロンくんの両親の友人にギャラリー経営者がいたことだ。
そのことが、彼の作品を世に知らしめる最短コースになったのは事実だろう。
人生はどうなるか分からない。
ひとつ言えることは、才能が自覚できることは
それだけでかなり幸せだということだ。
大事なのは、大人が子どもの能力を見くびらないことだ。
子どもは凄まじい力を持っている。
あとは、その力をいかに大事にさせるかだが、
当の本人はそんなこと知ったこっちゃない。
それが子どもが子どもである所以だ。
あとは、その子どもにどう自覚させるかだが、
それがとっても難しいんだよなぁ。
ああ、私も小さい時にアニメだゲームだ漫画だと易きに流れず、
何かひとつを続けていたら、ひとかどのものになったかも知れないなぁ、
というのも、たいてい大人になってから思うものなのだなぁ。
合掌。

追伸
今日のページに貼った絵は、昨日とのタッチの違いから恐らく最近の作品だろう。
確実に進化しているので、彼は本当にピカソのような時代の寵児に
なっていくかも知れないし、そうなって欲しいと期待する。
キーロン・ウィリアムソンくんの作品はすごい。

しかし、単純に絵画単体としての良さや美しさというものを考えたら、
まだまだ未熟というか、どこにでもあるレベルだと思われる。
私が16万で買うかと問われたら、正直買わない。
しかし、現実にはこれだけの値段がつく。
そこには、園児が描いたという「話題性」という付加価値が大きい。
付加価値というものは値段を決めるとても大きな要因になる。
例えば有名人や芸能人が描いた絵であれば、
たとえそれが幼稚園児が描いたレベルのものであっても
何万、何十万という値段がつく。
それは作品自身の価値でなく、
作品を描いた人に対する価値を認めている。
さらに値がつく要因としては、いわゆる若い芸術家の作品の
値段というものに含まれる「期待値」である。
その作家が今後人気が出て、作品の価値も上がっていくだろうと、
つまり投資として扱われる場合の価値だ。
そういう意味では、キーロンくんは将来に残された時間が膨大かつ
前途洋々すぎて、投資的価値は満載である。

こうして美術作品の値段が一般庶民の感覚から
外れたものになっていくわけだが、
例えば限定ものの超人気ブランドバッグが売り切れたとして、
倍の値段でヤフーオークションで売られたりすることと同じである。
それだけの値段を出しても欲しい人がいれば、
物の価値は上がっていく。
キーロンくんの絵画も、16万出しても欲しいという人が
世界中にいたのだろうから仕方がない。
ではなくて!
今回の主旨は、子どもの能力の高さである。
大人になると、とかく子どもの能力をバカにし、
こんなもんだろうと勝手に限界を決めたりしがちだが、
子どもの持っている能力は、大人のそれとは
比べものにならないほどの恐ろしいものである。
日本中の駅名が言える。
世界中の国名が言える。
円周率を500ケタまで言える。
たまにテレビでも「びっくり天才少年!」とか銘打って
紹介されたりするが、単純に記憶力だけを見ても
大人顔負けの子どもなんてザラにいる。
その能力が計算力に向く子もいれば、身体能力に向く子もいる。
ヨーヨーの世界一はもちろん子どもだ。
それでも大人が子どもがバカにするのは、
その能力が持続しない時だ。
子どもは興味を持った時に爆発的に能力を発揮するが、
往々にしてその興味は気まぐれでコロコロ変わり、
結果的に何の価値もなくなってしまうことが多い。
あなたも小さい頃は、天才だ神童だと言われただろう。
それは「子どもなのにすごい」という理由からだ。
本当にすごいというのは、「子どもでなくなってもすごい」ことだろう。
それには、子どもの興味や能力を高め、持続させる環境が必要だ。
それが大人の理解、助言、協力、賞賛などと言われるものだ。
そういう意味で、キーロンくんは良い両親に恵まれていたと
言えるし、大きなチャンスをつかんだと言えるだろう。

持って生まれた才能というもの誰にでもある。
ただ、どんな才能かが分からないのだ。
世の中には気づかないまま埋もれる才能の方が圧倒的に多い。
だが、それに気がつけば自分に大きな力となり、花開く可能性も高まる。
気づくには早ければ早い方がよく、なるべく多くの時間と労力を費やす。
磨いた才能の開花には血の滲むような努力が必要な場合が多いが、
偶然が大きく影響することも往々にしてある。
運をつかむのも実力の内と言われるが、今回で言えば
キーロンくんの両親の友人にギャラリー経営者がいたことだ。
そのことが、彼の作品を世に知らしめる最短コースになったのは事実だろう。
人生はどうなるか分からない。
ひとつ言えることは、才能が自覚できることは
それだけでかなり幸せだということだ。
大事なのは、大人が子どもの能力を見くびらないことだ。
子どもは凄まじい力を持っている。
あとは、その力をいかに大事にさせるかだが、
当の本人はそんなこと知ったこっちゃない。
それが子どもが子どもである所以だ。
あとは、その子どもにどう自覚させるかだが、
それがとっても難しいんだよなぁ。
ああ、私も小さい時にアニメだゲームだ漫画だと易きに流れず、
何かひとつを続けていたら、ひとかどのものになったかも知れないなぁ、
というのも、たいてい大人になってから思うものなのだなぁ。
合掌。

追伸
今日のページに貼った絵は、昨日とのタッチの違いから恐らく最近の作品だろう。
確実に進化しているので、彼は本当にピカソのような時代の寵児に
なっていくかも知れないし、そうなって欲しいと期待する。
スポンサーサイト


